自分で生むシナジーを、売り手に払っていないか
自分で生むシナジーを、売り手に払っていないか
買い手が実現する調達統合やクロスセルのシナジーを、買収価格へそのまま織り込む危険性を解説。スタンドアロン価値との区分、実現確率、統合コスト、立ち上がり期間、価値帰属の判断方法を整理します。
買収価格の議論は、たいてい「いくらまで出せるか」から始まります。ただ、その前に決めておくべきことがあります。払う対象は何か、という問題です。対象会社がすでに持っている価値と、買い手が入って初めて生まれる価値は、同じ価格の中で混ざりやすい。混ざったまま交渉に入ると、買い手は自分が生む価値の対価まで払うことになります。
「割安」という結論は、どう作られるか
ある買い手が、地方の部品メーカーの買収を検討していました。EBITDAは3億円。売り手の希望は8倍の24億円。対象会社の実力だけで見れば、6倍の18億円が相場感でした。
そこで買い手側がシナジーを試算します。調達を統合すれば年8千万円、自社の営業網でクロスセルすれば年1億円。合わせて1.8億円の改善。織り込めばEBITDAは4.8億円になり、6倍で28.8億円。24億円は割安だ、という理屈が社内で立ちました。
この計算に、算術的な誤りはありません。危ういのは、前提を置いた場所です。
その1.8億円は、誰が生むのか
調達統合は、買い手の購買量があって初めて効きます。クロスセルは、買い手の営業網があって初めて成立します。どちらも対象会社が単独では生めない価値です。それなのに、その対価を売り手に払おうとしている。
売り手が「その価値はうちの顧客があるから生まれる」と言うのは、半分は正しい。資産がなければ、何も起きません。ただ、資産があっても、動かさなければ価値は出ません。持っているのは売り手で、動かすのは買い手です。
だから帰属は、ゼロか全部かの問題ではなく、配分の問題になります。
実行リスクは、買い手だけが負う
統合が遅れれば1.8億円は出ません。出なくても、払った代金は戻らない。シナジーを全額価格に入れるというのは、うまくいって収支ゼロ、しくじれば損という賭けを選ぶことです。上振れが、どこにもない。
時間の非対称もあります。1.8億円が全額立ち上がるのは、早くて二年目、三年目になることもある。一方で価格は、クロージング時に一括で払います。数年先のキャッシュフローに、今日の金額をそのまま当てている。
統合コストも見落とされます。システム統合、人員配置、外部費用。多くの試算はグロスのシナジーで作られ、それを実現するための支出は価格から引かれない。グロスを売り手に渡し、ネットの負担を自社が負う形になります。
売り手に帰属させるべきもの
価格交渉で売り手に帰属させるべきなのは、まず相手がすでに持っている価値です。ブランド、顧客基盤、人材。対象会社の中にすでにあるものに払う。買い手がこれから作る価値まで、当然に売り手のものになるわけではありません。
二つの問いで線を引く
交渉である以上、シナジーの一部が価格に乗ることは避けられません。線を引く問いは二つです。
一つ目は、その施策は、この会社を買わなくても実現できるか。共同購買の契約で足りる調達メリット、代理店契約で届く販路。資本を入れずに取れる価値に、買収の対価は要りません。ここは「なぜ提携ではなく買収か」という論点と、そのまま繋がります。
二つ目は、価値の源泉が対象会社と買い手のどちらにあるか。買収で初めて生まれる価値も、実現確率を掛け、統合コストと時間を差し引く。価格に乗せるのは、そのうち対象会社が生む部分だけです。買い手が自ら生む部分まで、売り手に渡す必要はありません。
社内資料は、二段に分ける
実務では、シナジー試算の扱いに悩みます。売り手に見せれば価格に取り込まれ、見せなければ社内の投資判断が説明できない。
分けて書くのが実際的です。価格交渉の出発点は、対象会社が単独で生む価値。投資判断の根拠は、統合後に見込む価値。前者が交渉のテーブルに乗る数字で、後者は自社の意思決定のための数字です。二つを混ぜると、自分の実行力に自分で値段をつけ、それを相手に払うことになります。
シナジーを価格に乗せる前のチェック
・資本を入れずに、取引や提携で同じ効果を得られないか ・試算はグロスか。実現に必要な統合コストと投資を差し引いているか ・立ち上がりまでの期間を織り込んでいるか。価格は今日、効果は数年後になっていないか ・実現の主担当は誰か。買い手側の人員と投資が前提なら、その分は買い手に帰属する |
佐藤宏樹|バルクアップコンサルティング株式会社 代表取締役社長
MBA(京都大学)/Entrepreneur in Residence, University of Nottingham/元三菱UFJ銀行/元PwC Japan DEALS